<タムラ堂だより>         20219 月発行

 

夜の木通信

                               No.

発行 タムラ堂

180-0003 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-32-5

Tel. 0422-49-3964   http://www.tamura-do.com

 

<本通信は『夜の木』(10刷)の特別付録です。>

 

 

コロナ禍をくぐり抜けて

 

 

 

今回、『夜の木』の10刷が、この最悪の事態の中、無事日本に到着し、今ここにあるというのは、本当に奇跡のように感じる。やっぱりこの本の持つパワーであろうか。

 

 

今年の5月にタラブックスの製作責任者アルムガム氏からメールが届いた。コロナ感染拡大のため『夜の木』の重版作業が遅れているという。インドでのコロナの感染爆発が連日ニュースで大きく取り上げられていた時期だ。新規感染者が1日40万人を超えるという想像を絶する状況に誰もが愕然とした。インドの知人たちのことが心配になった。ちょうどそのころに届いたメールだった。印刷、製本工房AMMスクリーンズのスタッフにも感染者で出て、工房は閉鎖中だという。そして、街は何度目かのロッ

 

クダウンとなった。

 

 

アルムガム氏は、さかんに作業の遅れを謝っていたが、そんなことより皆が無事であることのほうがよほど大切だ。本の遅れなど問題ではない、と返事をした。そして、『夜の木』の重版は遅れること、販売開始の時期は未定である旨を関係各所にアナウンスした。

 

そのうち日本でもコロナの感染が急激に拡大し、オリンピックがスタートし、日本の社会がまさに壊れそうな(あるいはすでに壊れている)状況になった頃に、突然、インドから航空便で荷物が届いた。なんだろうと思いながら荷物を開けたら、なんと美しく仕上がった重版(10刷)の見本であった。

相変わらず厳しいインドの感染状況の中でも、ロックダウンになっても工房で共同生活をしながら製作を続けているからこそ実現できたのかもしれない。アルムガム氏の笑顔が思い浮かんだ。その後、チェンナイ港での船積みが完了し、船はシンガポール経由で東京に向かったという連絡が入った。

 

 今から10年前に、『夜の木』の日本語版を出版しようと思い立ち、手さぐりでスタートした。ちょうど、東日本大震災の直後、誰もが打ちひしがれ、途方に暮れている時だった。直接的なメッセージを発信しているわけではないが、この本が私たちに何か力を与えてくれるに違いないと思った。そして、この本が持っている特別な力に導かれるように一歩を踏み出した。

その後、年に1度のペースで版を重ね、今回ついに10刷に!それが、今度は未曾有のパンデミックの真っただ中であった。なんという巡り合わせだろう。

 

  『夜の木』は、版ごとに表紙の絵柄を変えている。初版から9刷までの表紙を以下にご紹介しておく。4刷以降は、日本語版のオリジナルの表紙である。それぞれに思い出深い。

 

 

そして、今回、10刷の表紙は、初版と同じ「ドゥーマルの木」。聖なる木である。小鳥のような実は愛らしく、どうやらこの木はイチジクの仲間らしい。いかにも願いを叶えてくれそうだ。

色は初版のゴールドから今回はシルバーに変えた。10刷を祝っての、タムラ堂の思いが込められているとご理解いただきたい。今回もデザイナーの守屋史世さんにお世話になった。

 

2007年にボローニャ・ブックフェアでこの本の原書に出会って以来、ここに至るまで、いろいろな出来事があった。初めて南インドを訪ね、またタラブックスの人たちが来日し交流を深めることができた。日本各地で開催していただいた展示会や慣れないトーク・イベントでは多くの素敵な方たちと出会い、素晴らしい時間を共有することができた。また、タラブックス展の巡回展や様々なメディアでも紹介していただいた。全てがこの奇跡のような本との巡り合いから始まったのだ。そして、今、この10刷をさらに新しい読者の方々、リピーターの方々にお届けできることは大きな喜びである。                 (タムラ堂 田村)

 

 

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小鳥のような木の実さん

 青木恵都

 

「こんにちは、ドゥーマルの木さん。会いたかった!」娘は寺院に着くと、こう話しかけた。彼女がドゥーマルの木のそびえる寺院に行ったのは、空気が少しずつ涼しさを纏う、秋の日だった。もう夕刻で、傾いた陽射しが、長い影を落としていた。昼間は晴れ渡っていた空が、茜色に染まり、気持ちの休まるひと時だった。

その日はナヴラートリの祭りの日で、さきほどまで寺院の周りはにぎわっていた。祭典は、9日間続き、お参りにやって来る人々の姿は絶えない。

祭りの間、人々は寺院の前庭にあるドゥーマルの木に祈りをささげるのだ。祭典の期間毎日、祈りに来る人もいる。ドゥーマルの木は聖なる木とも言われ大切にされている。夕方ともなると、ごった返していた人の波も少し引き、少しばかりの静寂が訪れた。夜は夜で、お参りの人が来るが、こうした凪のような時間帯もある。

この娘は隣の村に住んでいて、どうしてもドゥーマルの木に願い事をしたくて、何か月も前から、この日を心待ちにしていた。寺院の場所を人に尋ね、案外近くにあるとわかると、より一層祭りが待ち遠しく思われた。指折り数えて日々を過ごした。

祭りの日、娘は午後早く家をでた。寺院までは少し距離があったが、徒歩で向かった。年の頃は16歳ほど。さっぱりした服装で、肩まで伸びた黒髪を三つ編みにし、小さな手提げを持っていた。黒目がちの瞳には、強い意志の光があった。今日はお祭りの日だから、お供え物を大切に選んで来た。

大分歩いて、小さな集落に着いた。寺院はこの近くの筈、と聞いてきたが、周囲には休む人や、談笑する人々などがいて、どちらの方向に歩けば良いのか分からなかった。取り敢えず歩いている人々の流れについて行くと、お寺が見えてきた。「あれだわ」と思って元気が出てきた娘は、小走りになった。

 見晴らしの良いところに出ると、そこは寺院の前庭で、人々が捧げものを持って向かう、見事な一本の木があった。幹はがっしりと大地からそびえ、そこからしっかりした、美しい枝が伸びている。枝には、小鳥のような形の実が鈴なりだった。微かな風が吹いて、気持ちの良い場所だった。

 娘は幹に近づき、持ってきたお菓子をそっと、根元に置いた。そこには、人々の心づくしの品が山積みになっていたが、雑な印象はない。しばらく眺めていると、温かい空気を放っているように感じられた。ふと辺りを見回すと、日はとっぷり暮れ、灯がともされている。それから娘は、枝になっている実を見つめ、優しそうなたたずまいの実の近くに進んだ。

 

 「小鳥のような木の実さん。お元気?」こう娘が問いかけると、

 

木の実は「や、よく来てくれたね。元気だよ」と気さくに答えた。

 娘は、思い切ったように木の実にこう言った。「木の実さん、私の話、聞いてもらえるかしら」

「わかったよ。みんな何か胸に抱えてここに来るんだ。話してごらん」木の実の口調は穏やかだ。

 そこで娘は、ずっと話したかったおじいさんの話をした。「おじいさんは年を取っていて、最近は歩くことも難しくなったの。私が小さいころ、お祭りの踊りを教えてくれて、私も踊るのが大好きになったの。とても優しい人なのよ。でも、ここ2年くらい、わたしも学校が忙しくて、なかなかおじいさんに会いに行けなくて、寂しく思っていたの。そうしたらおじいさんは、最近はしょげこんで、いつも不機嫌だって親戚の人は言うの。お姉さんの結婚話にも、一人で反対しているらしいわ。おじいさんが明るい気持ちになるために、私にできることはあるかしら」

 一気に話すと、娘はふっと息をついた。自分勝手だと思われるのが嫌で、誰にも話せなかった秘密だった。何も言わずにいた木の実が、一心に話を聴いていたのが、娘にも伝わった。話し終わると、娘の心は落ち着いていた。

 木の実は静かな口調で「困ったね」、そう言った。それきり黙っている木の実を見て、娘は、はっとした。そうか、おじいさんの話を、ちゃんと聴いてみよう。私、自分のことばかり考えていたかもしれない。そして、時間を工面しておじいさんに会いに行こう、と思った。

娘は木の実に「ありがとう、小鳥のような木の実さん。今日はあなたに会えて、本当によかったわ。また来るわね」と言って、別れを告げた。もう周囲は真っ暗になっていたが、娘の心は不思議と弾んだ。

 さて、この娘さんの話はその後、どのようになったかは分かりませんが、上手く行ったことを祈るばかりです。ドゥーマルの木に会ったことで、みんなが笑顔になれたなら、本当にうれしいことです。(あおき けいと)