昨年末に久しぶりに吉祥寺シアターで芝居を観ました。小池博史ブリッジプロジェクトによる「幻祭前夜 マハーバーラタより」です。
なぜ、今「マハーバーラタ」なのか、そして私たちは「マハーバーラタ」をどう捉えていったらよいのか、さまざまな問いを突き付けてくる、実に刺激的な舞台でした。(公式ホームページよりの写真)
なによりも役者たちの肉体表現、特ににタイの役者というかダンサー、スノン・ワラカーンの動きに目を奪われました。
かつて横浜ボートシアターの「若きアビマニュの死」という仮面劇を観たときの
衝撃を思い出しました。これも「マハーバーラタ」からのエピソードで、
パンダヴァ5王子の一人である勇者アルジュナの息子アビマニュの壮絶な戦死を扱ったものでした。
また、セゾン劇場のこけら落としで話題を呼んだ、9時間にも及ぶ上演時間の
ピーターブルックの「マハーバーラタ」の舞台や、ジャワ影絵劇のワヤンのことも
思い出し、この壮大な叙事詩の世界に浸っていました。
最近ブルックが再度手掛けた『Battlefield 「マハーバーラタ」より』や、
宮城聡演出の「マハーバーラタ~ナラ王の冒険」は見逃してしまいましたが、
「マハーバーラタ」に、今の世界を考える上で重要なヒントがあることは確かだと思います。
ブルックの「マハーバーラタ」の脚本を手掛けたジャン=クロード・カリエールが
その著書の序文で記していますが、この壮大な叙事詩の底に常に消え去ることなく
流れている本流は「われわれは破壊の時代を生きている」という脅威なのです。
祝祭的な雰囲気の中で、滅亡へと向かう陰謀と殺戮。
この破壊は避けることができるのか? とカリエールは問いかけています。
そこで、なぜか思いは『世界のはじまり』の世界観、死生観へと繋がっていくのでした。
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